映画を中心とした興味
by sonobasho
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カテゴリ:どう観たか?( 7 )
伊藤大輔監督「春琴物語」を見て
春琴物語 '54 大映東京
監督:伊藤大輔 出演:京マチ子/花柳喜章/杉村春子/船越英二
木村威夫美術監督作品大回顧展@ポレポレ東中野にて

鬼気迫るとは、このことか。
終盤にて、佐助が決意をするに至るシーン。
針山を前に座っている佐助が真横から捉えられ、その背景には、上方の小窓から洩れる光に照らし出された靄(もや)が立ち上っている。
ここでちょっとの間、佐助は逡巡してしまうのだが、後ろに見える靄がしだいにわずかながらも強い調子に見えだしてきて、画面に異様な雰囲気が漂う。
そして、鮮烈なカットバックが入り、針山、さらには針を手指でしっかり持つところ、と徐々にその決行へと近づいていく緊迫感は、心臓に悪いというか、見ていて本当に痛々しく切なすぎる。思わず「やめてくれ」と叫びたいくらいだった。

前半では、移動撮影の闊達さにより、大阪の薬種問屋という一種のミクロコスモスに誘われてしまう。
また、特記しておきたいのは、ラストシーンの素晴らしさ。それまで、ほとんどが問屋街を舞台に展開していたのとは対照的に、野外の風景が提示される。ある意味で取ってつけたと言えばそれまでであるが、逆にそこにこそ監督のねらいがあるのではないかという気もする。その直前の馬車がトンネル内を行くシーンも短いながら鮮烈だが(深い暗闇とわずかの光明の微妙な均衡、そしてその中を移動する馬車!)、次に一転して開けた眺望を目にした時の解放感、あるいは盲目の2人の脳裏に浮かぶ別天地のイメージかもしれないと思うと、ある意味でのハッピーエンドへ昇華させられる思いがする。

大店の盲目のお嬢という役どころで、京マチ子の美貌がまさに人形のように引き立っている(全編に渡って彼女の目は、閉じられたままだ。よく一般に人の容貌の魅力は瞳にあるというようなことを言ったりするが、京マチ子のあの大きな目はかなり魅力的であることは確かだと思う。しかし、この作品では、それは一切封じられているのだが)。気位の高さといい、終盤での佐助に対して高慢さを貫徹せざるおえない切なさといい出色の演技だと思う。
杉村春子の俗物ぶりも哀しい性(さが)を感じさせて、よい。

ちなみに、7/19の上映を見たが、終映時に木村威夫氏が登場して、次のように語った。
・ちょうど今から50年前の作品で非常に懐かしい。
・まだ右も左もわからなかったが、上方の問屋を初めて手がけるということで、いろいろ調べてデザインした。
・京マチ子の衣装の着物については、当時の金額で1000万円をかけて、この作品のために全て作らせた(染めや織の段階からオーダーメイドしたもの)。
(この回は、もともとトークの予定はなかったが、その後の回でトークをするために来場されていたようだ。大変お元気そうだった。京マチ子のことを、「京マチちゃん」と言われたのが印象的だった。)
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by sonobasho | 2004-07-20 00:58 | どう観たか?
イオセリアーニ監督「群盗、第七章」「四月」「歌うつぐみがおりました」を見て
オタール・イオセリアーニ映画祭@渋谷シネ・アミューズにて

群盗、第七章
1996年/フランス=スイス=イタリア=ロシア=グルジア/カラー/122分
ストーリーなどは公式サイトにて 「群盗、第七章」詳細

いやー、驚いた! 凄い!
超絶技巧によって、まさに 「歴史は繰り返す、そして全ての悲劇は喜劇的である」ということを視覚化している。映画にしかできない表現を駆使して、7つの時代の情景を縦横無尽に往還して、らせん状に連なる複数の人生を描き出す。善悪の彼岸を超えて、人々の営みを冷徹に見つめるまなざしは、根底に人間性への信頼があればこそなのだと思う。(残虐行為すら日常的所作として描かれるところがミソかもしれない)
それにしても、脚本も書いて編集もしたイオセリアーニ監督の頭の中は、いったいどうなっているんだろうと驚愕するばかりだ。あるいは、真の天才とは、遊びのようなまたは酔狂のような手つきをしながらも、このような傑作を生み出しえるものなのかもしれない。

また特筆しておきたい点として、
・撮影が素晴らしい。
名手ウィリアム・ルプシャンスキーによる澄みきった空気感を含んだ繊細な画面が美しい。特に、ほとんどのシーンで、光と影が細密に捉えられている点には驚いた(作為的な調子ではなく、自然な感じに見せている。それは時に人物の顔が影となることも辞さず徹底している)。
・切り返しがほとんどない
人物の会話シーンを捉える際も、その場の全景を含んだ引きのショットとなっていることが多い。主観ショットもほとんどない。そのようにして、冷静さを保ちつつ、人物たちを等価に扱うまなざしを向けている。
・ダイアローグが少ない
セリフに頼らなくても充分に見応えのある映画はありえるのだということに気づいて、ハッとしました(いわゆる説明的なセリフなんて別になくたって、他にやりようはあるというわけです)。また、これは何といっても、イオセリアーニ監督がサイレント映画的な演出を充分に体得していて、アクションに対しての反射神経が大変細やかだからでもあるといえるでしょう。


四月
1962-2000年<復元版>/グルジア/モノクロ/48分
ストーリーなどは公式サイトにて 「四月」詳細
セリフなしで映像と音(楽)だけによる、可愛らしいデビュー作。ジャック・タチを思わせるような音と動作のシンクロや、たくさん出てくる椅子おじさんたちなどなんだか過剰なところが面白い。ユーモアたっぷりに若いカップルの愛のかたちを描いて、ほのぼのさせられる。


歌うつぐみがおりました
1970年/グルジア/モノクロ/82分
ストーリーなどは公式サイトにて 「歌うつぐみがおりました」詳細
ヌーベル・ヴァーグのような瑞々しさに目をみはる。遅刻して本番中に駆けつけてくるティンパニー奏者のギアは、女の子と見ればちょっかいを出さずにいられないし、とにかく調子がよくて、ルーズなんだけど、悪気がなくて憎めないヤツ。彼の日常はあくせくしているというよりも、なんだかバタバタ駆け回るのが愉快そうに見える。
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by sonobasho | 2004-07-19 02:27 | どう観たか?
浅草東宝「ジャパニメーション・偉大なるWオーの世界」を見て
「スチームボーイ」公開記念 ジャパニメーション・偉大なるWオーの世界
浅草東宝にて
1)イノセンス '04 東宝 他 監督:押井守
2)AKIRA アキラ '88 製作委員会 監督:大友克洋
3)うる星やつら2 ビューティフルドリーマー '84 キティ・フィルム 監督・脚本:押井守
4)メトロポリス '01 製作委員会 監督:りんたろう 脚本:大友克洋

いずれも、壮大なスケールの世界観を表現している作品なので、大きな画面で見ることができて迫力倍増で非常に堪能しました。

1)見るのは2回目だが、やっぱりどうも理詰めすぎる感がする。

2)展開のスピード感および派手なシーンが多く見応えがある。ただ、欲を言えば、キャラクターが弱い気がしてちょっと盛り上がりきらない感じがした。原作の漫画から、映画にする際に無理があったのだろうか。

3)夢オチやメタフィクションの話題で必ず出てくる傑作ということで、ずっと長いこと見たいと思っていてやっと見ることができたが、唖然としてしまった。
いい意味で、「トラウマになる映画」というのはこういう作品のことだと思う。
“すべての終わりは始まりにしかすぎない”という言葉もでてきたが、見てしまったからには、これからはずっとこの作品のことを常に意識のどこかで考え続けていかざるをえないだろう。

4)ストーリーやキャラクター含め演出が練られており、また画作りも素晴らしく、完成度が非常に高いと思う。巨大未来都市の表現が秀逸で、全編に渡って背景が大変凝っている。またアングルやカット割りが工夫されており、特に人物の会話のあるシーンに引きの構図を多用している点が従来のアニメ作品にはあまりなかった見応えを生んでいる。
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by sonobasho | 2004-07-18 08:30 | どう観たか?
大島渚監督「夏の妹」についての仮説(こじつけ?)
夏の妹 '72 創造社/ATG 監督:大島渚
出演:栗田ひろみ/石橋正次/小松方正/リリィ/殿山泰司/佐藤慶/小山明子/戸浦六宏
特集上映 オキナワ映画クロニクル@シネマアートン下北沢にて

復帰直後の沖縄を舞台に、異母兄かもしれないという青年(石橋正次)に会いにやって来た少女(栗田ひろみ)の兄探しのストーリーを主軸として、その父親(小松方正)と婚約者(リリィ)、青年の母(小山明子)、青年の父であるかもしれないもう一人の男(佐藤慶)、さらに戦争の呵責により沖縄を訪れた男(殿山泰司)、沖縄民謡の歌手(戸浦六宏)らが交錯する人間模様を描く。

栗田ひろみの演技が硬いとか、ストーリー展開や感情移入の点ではドラマ性が薄いとか、難点もあるが、妙におもしろいような気がしてしまう異色作。2人の男のどちらが父親かはっきりしない青年というのが、日本とアメリカの間で揺れる沖縄を象徴しているのだろうか。
1972年当時の沖縄を撮ったということの意味も大きいといえる。実は、そのあたりの生々しさを期待して見に行ったところもあったのだが、どうも沖縄については背景として扱っているように見えてしまい、積極的に沖縄を撮ろうとしているという感じはあまり見られなかったように思う。それはそれで別に構わないし、それなりに面白かった。

そこで、ひとつの仮説として思いついたのは、アクチュアルな沖縄そのものを取り上げたいというのでなく、ある異界としての沖縄を描きたかったのではないか。さらに言えば、黄泉の国という異界かもしれない。前半で栗田ひろみとリリィが殿山泰司に伴われて観光するのは、戦跡および沖縄式墓地という死者の場所であるし、このような仮定のもとでは、終盤に、浜辺で登場人物8人全てがそろう白昼のパーティの奇妙さ(一見なんの変哲もないようだが、やはりどこか尋常でない雰囲気がする)が、もしかしてこれは黄泉の国の死者たちの語らいなのではないかと見えてきてしまう。ややこじつけかもしれないが、皆白い服をまとっているし、白い服でない2人の人物(栗田ひろみと石橋正次)は、宴から逃げ出し(それを他の人物たちが追ってくるところの情景はかなり異様に見える)、後に生還する。そうやって考えてみると、オープニングタイトルのシーンが船が航行していく海をずっと映しているのは(波模様が美しく見惚れてしまうほど素晴らしい画面だと思う)、異界へのワープのようにも思え、ラストは沖縄から船が出航するシーンであるのは、この作品が少女の地獄めぐりの旅であることを示しているといえるのではないだろうか。

とにかく出てくる役者たちがある意味で皆コワイと思う(なんというか、絶対に目が笑っていない感じがする)。いずれの人物も、何を考えているのか分からない感じがして奇妙だ。
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by sonobasho | 2004-07-18 08:20 | どう観たか?
イム・サンス監督「浮気な家族」にムン・ソリのしなやかな肢体を見た
いやーこれが意外に、ちょっと一本取られちゃったなと、ニヤニヤしてしまいました。
韓国映画の重力からもメロドラマの湿度からも抜け出して、かといって野心作という敷居の高さも設けずに、あくまでも軽妙に、そして透明に、エロスとタナトスを往還するソープオペラを見せてくれます。(ストーリーだけ聞くとどうにも昼メロだし、公式サイトなどでの画像もなんともありがちなホームコメディっぽい感じですが、そういった紋切り型に対してはやすやすと裏切られます。また、物語性や感情移入といったことを期待されるのであれば、すっかり置いてけぼりになってしまうかもしれません)

目をみはったのは、ムン・ソリ(*1)の身体性が如実に発揮されていること! ダンスの稽古のシーンや、夜中に裸でくつろいでいるシーンに見られる、しなやかな肢体といったら! 少しの贅肉もなく、手足がスラリと長く、柔軟性に富んだその身体は、美しいというほど凡庸なものではなく、また艶っぽいというほど精彩を欠いたものではなく、なんというか運動する実存そのものとさえ言ってしまいたいくらいです。

それから印象深かったのは、人間が意図せずに口から何かを吐き出すのを見たことです。死病の父親は鮮血を吐き出す、息子の亡骸と対面したムン・ソリは思わずえづいて吐いてしまう、そして、窮状の中ついに隣宅の高校生と事に及んでしまうシーンでの、夜の稽古場におけるロングショットで捉えられた騎乗位のムン・ソリの口から洩れる呼気が見えた(*2)のは、人間の生が目に見える形をとったもののように見受けられます。

あと全体的にかなりテンポが早く、あれよあれよと目まぐるしく展開していくのですが、後からふと気づくと、物のアップのシーンが全くといっていいほどなかったのでした。
また、なんでシネスコにしたのかというのも気になるところです。しかも、フィックスで撮るよりも割と動かしている(時々かなり不安定に揺れる)ので、ちょっと居心地の悪いような空間になっていたりすることも印象的です。

(*1)今週号のAERAの表紙写真になっています。(普通に美人な姿で写っていて、「オアシス」のイメージがあったため、一見誰だかわかりませんでした。なお、本作ではムン・ソリの設定は美人妻ですが、やっぱりなかなかキレイな女優さんです)

(*2)そういう印象がしたとか誇張とかでなくて、本当に画面上に呼気が映っているのです。夜中の稽古場のがらんとした空間で明かりもなく、月光(または外の照明)が窓から射してかすかな光の帯をなしており、そこに2人のシルエットが浮かび上がるとともに、ムン・ソリの口から何度も白い息が洩れるのが見えます。このシーンは美しいとか感動的とかいうのでなく、あまりに冷徹で驚きました。


(参考)dolceDalnaraさんによる「浮気な家族」の感想です。(韓国の社会背景などに触れられていて興味深いです)→獲得と喪失  

浮気な家族 A Good Lawyer's Wife
2003年/韓国/カラー/35mm/104分/シネマスコープ
監督・脚本 イム・サンス 出演:ムン・ソリ ファン・ジョンミン ユン・ヨジョン
渋谷シアター・イメージフォーラムにて 7/16(金)まで上映中
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by sonobasho | 2004-07-15 23:41 | どう観たか?
若松孝二監督「餌食」についての与太話
「日本アウトロー伝説 第三弾 絶体絶命」@ラピュタ阿佐ヶ谷にて、「餌食」若松孝二監督を観た。

餌食  '79年/獅子プロ/カラー/80min
■監督:若松孝二/脚本:荒井晴彦、高田純、出口出/撮影:志村敏夫/音楽:ピーター・トッシュ、マトゥンビ
■出演:内田裕也、多々良純、宮田明、栗田洋子、水島彩子、鹿内孝、草薙良一
アメリカ帰りのロック歌手が“レゲエ”を土産に帰国。世間に受け入れられない怒りが大量無差別殺人へと向かう…。“ロック馬鹿”内田裕也が、自らの思いを投影したミュージシャン役で主演。ふやけた時代と現代人に牙をむく! (チラシより)

なかなか興味深い点がいろいろあって、面白く見ました。
おそらく、全然違うように見てしまっているような気もするので、あくまでも与太話ということで……

今、例えばビデオ題名をつけるなら(笑)、次のような題がいいんじゃないかと思ったりしました。
A案 「裏 ロスト・イン・トランスレーション」
B案 「メイド・イン・ハラジュク」

A案は、アメリカ帰りの内田裕也が東京という都市に対して異化的な視線を向けており、散りばめられた東京の実景シーン(特に前半)はまさに「ロスト・イン・トランスレーション」ばりなので(新宿ビル街や地下鉄など似通っている、同じ東京だから当然のことかもしれないが)。自国のことゆえ、エキゾチシズムをベースにした「不思議の国ニッポン」という違和感でなくて、社会批判を含んだ「トチ狂ってるぜ にっぽん」という違和感なのかもしれない。
そして、内田裕也はじめ、彼に住家を提供し奇妙な共同生活を送る爺さん (多々良純)や、内田裕也をそこに連れてきた少年(宮田明) や出入りする少女(栗田洋子)たちは、いわばはみ出した存在として、ある意味でまるでストレンジャーのように社会と言葉が通じないというギャップを感じているのではないか。例えば、内田裕也は今は大手プロモーターとなっている昔のバンド仲間に対して、レゲエミュージシャンの来日公演を持ちかけるが、通俗的に堕落したプロモーターとは会話がかみ合わない。また、少女(栗田)はピンサロでバイトしており、おやじ客にうまいこと言って多目に食べ物をオーダーさせては余った分を少年や内田裕也のために持ち帰ることにしているが、これなどはギャップを逆手にとって積極的に利用しているともとれる。
そうして、この都市において、不可視的なストレンジャーとして生きていくには、レゲエを聴きこんだり、旧式のピストルを日々取り出しては磨いたり、あるいは単車で疾走したりしなければ、ままならないのかもしれない。

B案は、少年少女のはみ出した感じの切なさ、ある種のストリートワイズによって野良猫のように生きていく姿が、ふとフルーツ・チャンの「メイド・イン・ホンコン」を思い起こさせたので(音楽業界の堕落をめぐる内田裕也のパートはさて置くとして)。そして、主に舞台となっている場所は原宿だが、今はなき同潤会アパートが彼らの生活の場であり、サンクチュアリとなっている。この物語には3世代の「忘れられた人々」が描かれている訳だが、その第一世代にあたる爺さんは、おそらくずっと同潤会アパートに暮らし続けてきたのだろう、外界の繁栄には背を向けて。すっかり古びて時代遅れになってしまった同潤会アパートと同じように、爺さんはただ朽ち果てていくばかりなのか。そうして、最後のシーンは表参道の歩行者天国だが、内田裕也ならずとも発狂しかねない何かがそこには渦巻いているようにも思える。

ちなみに、1979年6月23日の初公開時は、東映にて「地獄」(神代辰巳監督)の併映として2本立上映されたということを考えると、なんだかクラクラしてしまう。
※「地獄」は7/31に新文芸坐のオールナイト(地獄三昧プラス1)でも上映されますが、壮絶な狂気をはらんでいてちょっと絶句してしまう。

また、検索の駄賃として見つけたのですが、「餌食」で音楽が使われているピーター・トッシュ自体、かなり過激なメッセージを音楽にのせ「歩くカミソリ」と言われるような存在で、1987年に強盗の凶弾に倒れ(あるいは謀殺か?)…なんてことで、ドキュメンタリー映画も作られていたりします。
Stepping Razor RED X
監督・脚本:ニコラス・キャンベル|出演:ピーター・トッシュ,ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ,ミック・ジャガー
ボブ・マーリーと並ぶレゲエ最重要アーティスト!永遠のルード・ボーイ、ピーター・トッシュのドキュメンタリー映画!!
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by sonobasho | 2004-07-15 04:13 | どう観たか?
中島貞夫「日本の首領」三部作についての別の視点
中島貞夫監督による“日本版ゴッドファーザー”ともいうべき傑作「日本の首領」三部作のDVDが7/21に発売とのこと。

先週まで行われた<遊撃の美学 映画監督・中島貞夫> @新文芸坐で見ていて、いい意味でなんとなく引っ掛かりを感じるものがあった。
中島貞夫作品を今回の機会にまとまった形で、ある程度は年代を追って見ることができたのだが、この三部作については何か異質なものがあるような感じがする。

70年代後期の作として、プログラムピクチャーから大作志向へと東映の体制も移り変わっていくさまが作品に反映されているという見方もできるかもしれない。
それ以前の猥雑さが持ち味の作風から、ウェルメイド志向に移ろうとしているとも見受けられるような節もある。

あるいは、全く個人的な見方なのだが、この三部作をストーリー性とは違う角度から捉えてみると、次のようなポイントが指摘できるかもしれない。

三部作では、それぞれ人間にとって命取りとなってしまうもの(人が絡めとられてしまうもの、つまりそれは人間が執着せずにはおられないものに他ならない)をモチーフとして描いているのではないか。

つまり、1作目「やくざ戦争 日本の首領」では、それは任侠道や義理人情といった集団における対人関係なのかもしれない。千葉真一や鶴田浩二が絶命しなければいけなかったのは、任侠道をベースにしたヤクザ集団の対人関係のほころびということなのかもしれない。

そして、2作目「日本の首領 野望篇」では、おそらく男女間の恋愛あるいは反恋愛関係なのではないか(より小さい二者的な対人関係となる)。佐分利信の下の娘や、南洋の大統領に見初められたホステスや、そして松方弘樹が、生き永らえることが困難となったのは、当人を取り巻く過酷な状況のせいもあるが、同時に恋愛についての諦観や絶望もあったかもしれない。

さらに、3作目「日本の首領 完結篇」では、それはずばり、病気や克己ということで、もはや対人関係ですらなく、個的な、自我と身体との関係、もしくは現実的自我とこうありたいと望む理想的自我との関係というレベルにまで達しているのではないだろうか。敵に勝ったと思ったものの佐分利信もまさに病には勝てなかった訳だし、まだ若く健康なはずの高橋悦史も最後には自滅のような形で命を捨ててしまうのは、周囲に流されてすっかり汚れてしまった自分に対する罰だったのかもしれない。

それはともかく、3作目に関しては、身体性というポイントで捉えてみると、大変興味深いと思う。
例えば、車椅子のヤクザという菅原文太の役どころは身体性を封じられた存在として反転した凄味を醸し出しているといえるのではないか。
また、大物フィクサーの片岡千恵蔵に至っては発端部の病床のシーンでは、病臥しており横になった状態でほぼ顔のみに限られた登場となっている。また、その後でも、ほとんど座っているなどして、身体性とは著しく切り離されている。千恵蔵の顔のアップでの芝居がほとんどとなるが、つまりは、まさに顔役として文字通り「デカイツラ」そのものが表されているともいえよう(実際、見ていて本当にデカイ顔だなあとつくづく実感した)。むしろ、彼にとっては身体性はあまり必要とされず、本人が手を下さずともすべての場合において配下の者が事をなす訳なので、その顔をきかせてくれさえいればよいのである。端的には、顔のみで彼の存在の全てといえるかもしれない。
そして、1作目から一貫して登場しており、ようやく3作目にして物語の主軸に躍り出ることになった高橋悦史が、身体性に対して特権的になりえるところの医者であるというのもまた興味深い符牒といえるかもしれない。
(付記:あるいは、3作目において、最も異様なものとして、終盤にて覇を制したと確信して浮かれ気味の佐分利信が踊るシーンがある。それを見た時にひどく驚くとともに、瞬時にこの作品の鍵は「そうか、身体性だったのか」と気づかせられた)

◆1作目
やくざ戦争 日本の首領  (1977.01.22公開)東映京都 カラー 132分
監督:中島貞夫 原作:飯干晃一 脚本:高田宏治
出演:鶴田浩二、佐分利信、千葉真一、松方弘樹、高橋悦史、菅原文太

◆2作目
日本の首領 野望篇 (1977.10.29公開) 東映京都 カラー 141分
監督:中島貞夫 原作:飯干晃一 脚本:高田宏治
出演:佐分利信、三船敏郎、松方弘樹、成田三樹夫、高橋悦史、菅原文太、岸田今日子

◆3作目
日本の首領 完結篇(1978.09.09公開)東映京都 カラー 131分
監督:中島貞夫 原作:飯干晃一 脚本:高田宏治
出演:三船敏郎、佐分利信、菅原文太、片岡千恵蔵、高橋悦史
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by sonobasho | 2004-07-14 04:41 | どう観たか?